少女は走る。
広大な砂漠に足跡を残して。
足の裏についた砂が足を大きく振るたびに振り払われていく。
黒い影は、少女の動きをまねた。
  「夢現〜影〜」
少女は麦藁帽子とお気に入りのワンピースで着飾って、カラリと晴れた六月の空の下へ散歩に出かけた。
白い町並みを鼻歌交じりで楽しそうに歩き出した。白いサンダルが鼻歌と合唱するように音を立てる。
吹きぬける風は涼しく、少女はその風の中で足を止めて、大きく深呼吸をした。
「この風に成れたら、どれだけ涼しいかしら。あの太陽に成れたら、どれだけ楽しいかしら」
少女は右の手の平をまぶしい太陽に向けて、指の間から太陽を微かに透かした。
「こんなに綺麗な太陽に照らされて、私は幸せ者ね。家にこもって出てこない人は不幸者ね」
少女は両の手を大きく伸ばして鼻歌を歌いながら二、三度回った。
その時、少女の目に小さな一輪の花が映った。
緑の葉を大きく広げ、薄紫の花を元気に咲かせていた。しかし、少女はその花を見てあることに気がついた。
その小さな一輪の花は、大きな黒い影に光を遮られている。
少女は、その影を頭から足にかけてゆっくり見つめていくと、その影の足と少女の足がつながっていることに気がついた。
そして、その影の主が少女本人であることにも気が付いた。
「ごめんなさい、私があなたの邪魔をしていたのね」
少女は急いでその場から離れた。
花は太陽の光を受けて、小さいながらも生き生きと咲き誇るようだった。
生き生きと咲き誇る花の姿は、少女には、「ありがとう」と言っている様に見えた。
「どういたしまして。でも、こんな綺麗な太陽が出ているのに、影が邪魔をしているなんて……」
少女はそう呟いて足元の自分の影を見つめた。
白い石の地面の上に落ちた少女の真っ黒な影は、何も言わず少女のまねをした。
その影の真ん中には一匹の蟻が、転がるゴマ粒のように歩き回っていた。
「いけない、今度はアリさんがいる」
少女は、すぐさまそのアリから離れた。
今度は何もいないか確認をして、一息ついた。
しかし、少女はふと思った。
「よく考えれば、地面はどうなるのだろう。影に太陽が遮られていて可愛そうだわ」
少女はそう思い、とっさにその場から離れた。それと同時に少女の影もそこを離れる。
「あれ、今度はこっちの地面に影が……」
少女が動いてその場を離れても、少女の影は何度も同じ格好で、同じ方向に、同じ様に着いて来る。
「どうしよう、これじゃあ私の影のせいで、地面に太陽の光が当たらないわ」
少女は腕を組み、そう呟いた。
しばらく悩んだ少女は、何かを思いついたのか、突然走り出した。
「止まっているから影ができるのよ。だから、走って影をどこかへ置いてけぼりにしよう」
少女は走った。
六月の太陽が高く昇る下を、風に背を押されるように、真っ直ぐ走った。
白いサンダルの刻む音が徐々に速くなる。
麦藁帽子は木の葉のように揺れて、少女の頭から風に乗って飛び出した。
少女が振り返ると、麦藁帽子は、あっという間に見えないほど遠くへ行ってしまった。
白い町並みに少女の足音が響く。
黒い影は音も無く、少女の走る姿をまねながら着いてくる。
広場の噴水の前を通るときも、パン屋の角を曲がるときも、白い階段を下るときも、影は少女と同じ動きで、
少女の足にぴったりと張り付いて同じ場所を通る。少女はそんな影を見つめるたびに、夢中で走った。
周りの景色が見えない位夢中で走った。
気が付けば、町がずっと後ろで徐々に小さくなっていく。
辺りを見つめれば、真緑の芝生が覆う平原が続いていた。地面を強く踏み切る足に草の柔らかい感触が伝わる。
気が付けば少女は裸足で走っていた。
しかし足を止めない。
影を振り切ろうとひたすら走り続ける。
一面の緑に見とれている暇は無く、
ただ、その場から離れて、一秒でも早く影を何処かへやろうと言う気持ちでいっぱいだった。
太陽は相変わらず少女を照らし、黒い影を地面に描いていた。描かれる影は、芝生の凹凸の上で、ゆらゆらとゆれる。
平原の上を走る少女の背を風が後押しする。風が運ぶ草の匂いと共に少女は走り続ける。
少女がこれほど長く走っていたのは初めてだった。
出歩くのも、普段はせいぜい町の中ぐらいだったから。
足に残る草の感触は、もうどこかへ消えた。
振り返れば草原は遥かかなたに消えていった。
前を見れば一面の砂漠。小さな砂丘が遠くに見える、平らな砂漠。
走るたびに小さな足跡が、白い砂の上に残る。
町はもう見えない。
しかし、少女は走る。広大な砂漠に足跡を残して。
足の裏についた砂が足を大きく振るたびに振り払われていく。
黒い影は少女の動きをまねた。
サラサラと砂が風に流される。
しかし、その風は少女が馴染んだ町の風ではなく、まったく知らない砂漠の乾いた風だった。
突然、少女は足を止めて振り返り、影に向かって怒鳴りつけた。
「ついてこないで」
少女が人差し指で影を指すと、影もまたそれをまねた。
「ついて来ないで、って言ってるでしょ。何か言いなさいよ」
少女が足で強く地面を踏みつけると、影はまたそれをまねる。
「あなたなんか大嫌い。二度とついて来ないで。二度と私の前に現れないで」
今度は膨れっ面で言うと、影は反省するそぶりも無く、ただ少女のシルエットをかたどるだけだった。
少女は顔を上げて遠くを見た。町はもう見えない。
平原ももう見えない。ただ、長い砂漠が地平線の彼方まで続いているだけだった。
少女は、もう一度足元を見た。
何も変わらない。影がそこにあるだけ。それを見て、少女はため息を一つ吐いた。
「あなたは、いったいどこまでついてくる気なの。
いったいどこへ行けばあなたは消えるの。
あなたが居たら、あなたの下に居る草や、虫や、砂は、太陽の光に当たれないじゃない」
―どうしてそんなに影を嫌うのですか―
突然、どこからともなく声が響いた。
少女は、その声に臆することなく言った。
「だって、影があるせいで草や、虫や、砂が太陽の光に当たれないもの」
突然聞こえた声は、しばらく何も言わなかったと思うと、突然こう言った。
―なるほど。しかし、草や、虫や、砂がそうしてくれと言いましたか―
その言葉に少女はキョトンとして首を横に振った。
―あなたにとってそれはいい事かもしれませんが他のものにとってはお節介なのです。
それは確かにあなたの優しさかもしれませんが、過ぎた優しさは迷惑にもなります―
反論の言葉も出ない少女に声は続けた。
―それに、影を消すことはできません―
「どうして」
少女は不思議そうな目で、まるでその声が空から聞こえてきているかのように、空を見つめて聞いた。
―影はあなたが光を遮るから居るのです。
影はあなたで、あなたが影を作っているのです。
そして、影はあなたがいるという事の証であり、影はあなたがいる限り居続けるのです。
いわば、影はあなたと一心同体なのです―
少女は納得し、頷いた。
―では、もうお帰りなさい―
声はそう響き渡った。

少女の目が覚めた時、白いシーツのベッドの上で横になっていた。
白い真昼の光は、白いベッドと少女を照らす。
白い壁紙の部屋を吹きぬける風は、白いカーテンを揺らして白い扉から廊下へと抜けていく。
「いつの間に寝たのかしら」
少女は欠伸を一つして、目をこすり、ベッドから降りた。
そして、足の裏でフローリングの気持ちのいい冷たさを感じながらゆっくりと廊下へ出た。
「それにしても、変な夢を見たわ……」
少女はそう呟きながら部屋の扉を閉めた。
部屋に残されたのは、白い家具達と、窓からベッドの上に点々と落ちるきめの細かい砂粒だけだった。

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