空は随分と暗くなり、アスファルトを踏む音も一層静かに響いた。
黒と白のスニーカーを、誰もいない街灯と人のいる家の灯が薄らと照らす。
高い塀に囲まれた通りは相変わらず静かで、この時間になると人影一つ見えなかった。
彼はそんな通りを安物のジーンズと有触れたTシャツを着て歩いていた。
特に塞ぎこんでいるわけでも、動きたいわけでも、夜が好きなわけでもない。
単なる散歩、ただそれだけ。理由はあるけれど、特別なことは無い。
風呂上りの熱る体を冷まそうと思っただけだった。
最初は軽く家の前で涼むつもりだったのに、風が予想以上に気持ちよくて、ついつい散歩という見えないものに

惹かれてしまった。
なんでもない、ただの気分。そんな良くわからない友達のようなものに、彼は引っ張られているだけ。
時々夜空を見上げて、ポカンと口を大きく開けてみる姿は傍から見れば間抜けこの上ないけれど、あまり物を考

えていないから、彼にとっては恥かしくも無い。
そんな空は、空気が澄んでいて星がいつも以上にはっきり見える。
点々と落ちた雨雲の欠片の様に、沢山の点が煌々と光っていた。
ゆっくりと視線を下ろすと、目の前に広がるのはやっぱり点々と光るもの。
彼はジーンズのポケットに手を入れて地上の夜空を踏みしめ、地上の星を見つめた。
そして、ゆっくりとした歩幅で空の星と地上の星が交わる夜へと歩いた。
 ふと気がつくと、河原の横の砂利道を歩いていた。
河原に生える雑草たちはサヤサヤと風に吹かれて揺れ、虫たちがお互いを呼び合った。
何気なく見つめた河に暗い水が流れ、点々と落ちた光が歪んで見える。
空を見上げれば、無数の点が夜空を埋めるように集まって一本の川を作った。
白いミルクを溢した星の群れは、どこまで続くのか想像も出来ないほど遠くへと続く。
その真下には、天の川に抜き取られた夜の一部のような暗い川が小さな水音をさせて夜空の星の代わりに虫たち

の音色が響いた。
しかし、それも遠くの鉄橋を通る帰宅の電車に掻き消された。
「すずしい。」
彼がそう呟くと、風の羽衣がふっと通り過ぎた。まだ、少し湿る髪を撫でるように。
(夜の散歩もいいもんだな。)なんてボンヤリと考えながら小石を軽く蹴ると、真直ぐ河に落ちて、波紋を作っ

た。
「あれ、―――君?」
その様子を不思議そうに見つめながら、彼女は彼に声をかけた。
Tシャツとジーンズを雑に着た彼女は、長い髪を風にゆだねて「こんばんは」と他人行儀な挨拶をした。
そしたら彼は「おう、こんばんは。」と軽く挨拶をした。
「えっと、お前―――?」と名前を確認すると、彼女は何も言わずコクリと頷いた。
「髪、括ってなかったから気が付かなかった。」
「髪の毛、まだちょっと濡れてるから。」
会話が途切れると、虫の音と河のせせらぎが少し音量を上げた。
河が一層暗く、天の川が一層明るく、辺りが一層静かに見えた。
そんな明るくて暗い静かさを、強い風が一度だけ吹きつけた。
その強風に気付かされるように、彼女は時計を見た。
「あ、帰らないと・・・。また明日、学校でね。」と彼女が彼に背を向けて、手を振りながら歩いていったので

「おう、また明日な。」と彼も彼女の背中に手を振った。
彼はポケットに手を入れて、彼女とは逆の方向へ歩を進めた。
砂利道の音が静かに響き、草のなびく音が余計に静かさを掻き立てる。
少し歩いた所で何気なく振り向いて、遠くの闇に消え行く彼女を見て思った。
(あの星の河は、無数の星達が偶然であってできたんだな。あの水の河は、無数の水が偶然集まってできたんだ

な。俺と―――みたいに。)
そんなことを考えながら、もう一度彼女に手を振った。
いや、本当はもう一つ別のものに手を振ったのかもしれない。
この河とあの河の交わる、遠い向こうにも手を振ったのかもしれない。



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